Hazelnut latte

with a tsp of honey

素直で従順な手抜きを知らない生真面目タイプの努力家

「真面目さ」なんて社会で1ミリも役に立たないと早く気付くべきだった - 意識高い系ズボラ

 

読んだ。結論としては、タイトル通り「素直で従順な手抜きを知らない生真面目タイプの努力家なのねー」と思った。
・大人に言われたことを真に受けて素直に実行する。
・大人のアドバイスに従順である。反抗してやろうとかちょろまかしてやろうとかいうズルっこさがない。
・全力で勉強すると疲れるからほどほどにして手抜きしようって精神がない。こっそり漫画読んじゃおうとか友達とどっか遊びに行こうとかいう、欲望に屈して快楽を追いかける性質が感じられない。言い換えると、自制心が人一倍強くて過度に自律している。
・与えられた課題に一生懸命取り組むが、その「与えられた課題」を過大評価しているというか、絶大な信頼を寄せている(?)。究極的には自分の周囲にいる大人や先生を絶対視しすぎているというか。高校時代に三島由紀夫の『不道徳教育講座』あたり読んでたらもう少し人生違ってたかもね。

自分の頭で考えない大人・自分のやりたい事がない大人に育ったという意味では、日本の教育制度が大成功というか、そういうThink out of the boxができない人間を量産するための仕組みが日本の教育制度なんで、ある意味もっとも理想的な型に合わせて鋳造されてしまわれましたな…と憐憫の情を禁じ得ませんでした。

 

ところで、私の父親ってめちゃくちゃゲームが下手くそなんですよ。
どんな風に下手くそかっていうと、NPCに言われたことを素直に聞いてゲームを進めるだけで、まったく寄り道しないんですね。敵を倒す→経験値を稼ぐ→レベルを上げるって基本ルールに従順で、手抜きして効率的にレベル上げするにはどうすれば良いのかって発想がぜんぜんない。
ちょっと前までFF15をプレイしてたんですけど、四六時中ネットの攻略サイト見て、プレイ動画で敵の倒した見てるわりに、ボーナス魔法の作り方を知らないどころか、AP消費してキャラクターにアビリティ覚えさせるって事もだいぶ後になるまで知らなかったんですよ。ハンタークエストも未消化でランク上がってないし、道草喰わないから必要以上にモンスターに遭遇しなくて、敵と戦わないからレベルもそんなに上がらない。ダイナーのラジオも確認しないし、ムービーも観てるんだか観てないんだか、基本的なストーリーすらよく理解できてない節がある。
そんなわけで、100時間かかってまだレベル60台で、Chapter12(ルシス王の孤独な戦い)の一本道をウロウロしてて、仲間と誰一人合流できてないんですね。んで、そのまま数ケ月放置した挙句気がついたらFF7始めてました。オイオイ。

で、そのときに「良くも悪くも真面目よね」って思ったんですけど、そういう「良くも悪くも真面目」な人って自分の目先のことには一生懸命なんですよね。で、目先の物事に夢中になるあまり、視界の外にある物事に関してはまったく無関心なんですよね。そもそも視界の外に何かが存在するって発想がすっぽり抜け落ちてる。

だから、あんまり真面目になりすぎず、ほどほどの力加減で生きましょうってメッセージには私も賛成だなぁ。

 

ここからは余談。

 

ぶっちゃけ勉強以外のことに精を出したからと云って必ずしも「自分の頭で考える大人」になるとは限りませんが「自分のやりたいことがある人間」にはなれるので、そういう点で多少就活で有利になるんじゃないかと思う。だから「自分の頭で考えない大人」と「自分のやりたい事がない大人」の問題は分けて考えるべき事柄なんじゃないかなぁ。というか、日本の前近代的軍人気質を色濃く受け継いでいるスポーツ業界が部員や選手に苦痛を強いない筈がないわけで、そのへんはもうちょっとよく整理して考え直したほうが良いんじゃないだろうか。もっとも、ここ10年で少しずつ変わってきているようだけど。

試合のレベルが上がればそれだけ競争も厳しくなるわけで、いつまでも「ニコニコしながら楽しみながら」練習できるってのは能天気なアマちゃんの考えだろう。ある一定のラインからどうしても成績が伸びなくて呻吟したり、後輩や他の選手に記録を抜かれる恐怖と戦いながら、それでも練習し続けるしかなくて真綿で首を絞められるように喘ぎつつ来る日も来る日もトレーニングして自分の記録と向き合うという経験が果たしてこの人にはあったのだろうか、と疑うレベルの発言である。

「自分のやりたいことがある人間」にも色んな種類の人がいるわけだけど、会社の採用サイド(の中でもとりわけ悪辣な経営者精神の塊である人間)の視点で考えると、「自分のやりたい事」で適度にストレス発散しつつ、社命には黙って従ってくれる従順な人間が欲しいわけです。間違っても「私のやりたい事は周囲の人と一致団結して社会をより良くするために働きかけることです。だから労働組合を作ることにしました」なんてマジで自分の頭で考える力人間は要らない……というのは、ちょっと例が不適切でしたね。「この会社、労働組合作るべきだよなぁ」と自分の頭で考える能力はあるけど、唯々諾々と会社の方針に従う人間を採用したいだけで、マジで自分の頭で考えて行動する人間はいらないんだよね。会社の業務に支障をきたさない範囲でほどほどに自分の頭でモノを考え、自分から行動し、ストレスが溜まったらプライベートで自分のやりたい事をしてほどほどにガス抜きしてね、っていう。例えて言うなら「テニスの試合をしたら並みの上級生よりも強いんだけど、上級生の指示通り黙って玉拾いに甘んじてるような一年生」みたいな新入社員。間違っても「先生、なんで一年生は試合に出られないんですか? その先輩より私の方が強いですよ」とかいって自分よりも弱い先輩を試合のメンバーから外させるような交渉力や行動力のある人間は要らんのですよ。

ちょっと注意しておきたいのは、ワナベーさんの「真面目」の定義がちょい特殊な点。ワナベーさんの「真面目」って辞書的な定義にワナベー的言葉の感覚やイメージを足した私的/恣意的なニュアンスも全部ひっくるめて「真面目」の一言で済まそうとするという、乱暴な言葉の使い方というか、極めて言語感覚の鈍い人間がやりがちな事の典型的なパターンを実演しているので、アレだ、もう少し日本語で文章を書く訓練をしたほうが良いんじゃないかなって…うん…。言葉の基本的な意味を超えて、自分の頭の中でしか通用しない私的な言葉のイメージを基軸に理論を展開するってのは高度のテクニック必要なんで、実力が伴わないうちはあんまり背伸びしないほうが良いんじゃないかな…。*1

話変わるけど、ワナベー(waNABE)ってワナビー(Wannabe)と掛けた言葉遊びなのかなぁ。

*1:このあと文系の文章の書き方とか、小中高と同じノリで大学で勉強したらそりゃ就活でコケるよとか色々加筆してたんですが、パソコンが突然シャットダウンしてしまったため修正データが消えてしまいました。おのれディケイド

タイバニのファン層とラブライブ!のファン層

※いちタイバニファンの視点より。

タイバニが取りこぼしたファン層って、ラブライブのファン層と重なるんじゃないかなって話。

NHKの企画「ニッポンアニメ100」でタイバニが一位取ったら「組織票乙」とか言われてるらしくてマジ草なんだけど、ぶっちゃけ「タイバニ(アニメ)」と「タイバニ(ビギニング)」と「タイバニ(ライジング)」が「タイバニ」に一本化されて、ラブライブも「ラブライブ(1期)」と「ラブライブ(2期)」と「ラブライブ(TSIM)」と「ラブライブ(サンシャイン)」に分かれてなくて「ラブライブ」一本で投票してたらどっちが1位だったか分からんな、と思った。つか女性ベスト123と男性ベスト234の間に割って入ったまどマギすごいな。今度観よ。

ラブライブのファン層は厚いし、タイバニのファン層も厚い。

もし1位2位がラブライブ、3位にまどマギ、4位5位にタイバニがランクインしたとしても、おお、やっぱりラブライブは人気なんだな、程度にしか思わないだろう。ちゃんと毎日投票するなんてラブライブファンは熱意がすごいな、1位取るために努力してるんだな、と。

まーそのへんのことはとりま脇に置いといて、ざっくり思ったことをつらつらと。

タイバニが受けるのって「抑圧された自己肯定感やプライドの復権*1、ってテーマが琴線に触れるタイプの人だと思うんですけど、抑圧されてるって感じてない人とか、抑圧された状態に反発するほど自己肯定感やプライドがない(orそんな元気がない人)には受けないんだろうなーっていう。

タイバニのそもそものターゲット層がオッサン・おじさん世代で、10代~20代・30代前半の若い男性は入ってない。*2当初のターゲットから外れた女性*3は、男性じゃないからこそタイバニを楽しめてると言えるのではないかしらん。

キースはなんだかんだ勝ち組だし*4、イワンは感情移入できるほど成人男性らしい外見ではないし*5、仮に20代だったとしても超絶イケメンだし、じゃあ肝心の20代代表はっていうと、バニーちゃん*6とライアンだし*7、現実の日本人の若い男性が心置きなく感情移入できる要素、案外少ないんじゃないか? って気がするのよね。

んで、タイバニが取りこぼしてるファン層というか視聴者層って、ラブライブ!のファン層とほぼ被ってるんじゃないか? っていう。

 

・追記

書いてて気が付いたんだけど、イワンが努力してる姿の描写ってかなり露骨というか、虎徹さんよりよっぽど努力してるんだけど、かなり初期の段階で「努力が報われなくてつらい」って状況から解放されちゃうから、あんまり参考にならないんだよね。

イワンは「僕よりエドワードみたいな戦闘向きの能力者の方がヒーローに向いてるのに」って劣等感と「エドワードを裏切った」って罪悪感を根拠に「やっぱり僕じゃヒーローなんて無理なんだ」ってウジウジしてただけで、ランキングが最下位であることが原因で悩んでたわけじゃない。*8しかも、エドワードと仲直りしたらヒーローランキングも上がるようになったわけで、かなり順風満帆に努力が報われている。視聴者の方でもイワンが努力してるのは知ってるから、折紙サイクロンの成績が上がったところで「当然でしょ?」と思わざるを得ない。ただ、虎徹さんのように、なかなか努力を認めてもらえなくて悪戦苦闘して、でも最後の最後で認められた、やったぜ! って感動がないから、とくに感慨も湧かない。堅実に努力を重ねて、着々と成績を伸ばすキャラになった結果、キャラクターとしてはちょっと面白みに欠ける立場に追いやられてしまったのではないか、と、イワン君について考えてたら思ったんだけど、私が20代男子だったとしてタイバニを観るか? って聞かれたら、ちょっとよく分からない。バニーちゃんにもライアンにもイワンにもキースにも感情移入できないな、という意味ではたぶん観ない。こんな勝ち組のイケメン集団の話観て何が楽しいんだ、っていうのもあるけど、一番の理由は、自分がいかに努力していないかを真正面から突きつけられる感じがして居心地が悪くなるんじゃないかな、と思うから。

タイバニはなんだかんだ、努力をしてる勝ち組が更に研鑽を重ねて栄光を掴み取る話なので、毎日怠惰に暮らしてる自分が報われないのは当たり前だなーだって努力してないものね、と思ってしまう。

で、ここがたぶん、タイバニとラブライブとの大きな違いだと思うんだけど、ラブライブが顔出しアイドルなのに対して、タイバニのヒーローは基本的に覆面ヒーローなんだよね。だから、最初から顔面偏差値の高い同性の女子が顔面偏差値の高さを売りにしつつアイドルとして奮闘してても、とくに劣等感は感じない。だって私可愛くないし。可愛いアイドルの女の子がアイドルとして努力するのは当たり前だけど(仕事だし)、私はアイドルじゃないもの。

でも、タイバニのヒーローって顔隠してるじゃん。バニーちゃんみたいに顔出したところで、顔面偏差値って犯人確保と救助ポイントには関係ないじゃん? ってことはさ、いかに日頃から筋トレして、訓練して、鍛錬して、努力してるかが大事ってことじゃん。たしかにタイバニキャラの顔面偏差値は高いんだけど、彼らのヒーロー業務には、顔面偏差値って一切関係ないんだよね。ってことはさ、ほぼ完全な「能力主義」「成果主義」って事じゃん。いかに自分を律することができるのかって人間性が仕事の成果に直結してて、かつ仕事の成果のみで評価されてるといっても過言ではないわけじゃん。

そういう世界って、超過酷だよね。っていう。

で、冒頭に書いた「女性は女性だからこそタイバニを楽しめるのはないか」って話に戻るんだけど、女ってだけで「大学に行く必要はない」とか言われたり、女ってだけで通常業務の他にお茶汲みやら掃除やらをさせられたり、女ってだけで自分の仕事を諦めて結婚相手の赴任先に同行させられたりすることがある性別の人間からするとですね、タイバニの能力主義的な世界ってユートピアに近い。「努力すれば報われる」「実力のある人間は報われる」って神話が機能してるタイバニの世界観は、現実だったら良いのに、って世界観を提供している。

反対に、ラブライブはアイドルとしての実力以外にも、外見の良し悪しが重要になる。極端な話、どんなに歌や踊りがうまくても不細工はアイドルになれないが、ものすごく美人なら多少歌や踊りが苦手でもアイドルになれる。多少下手でも、むしろ下手なところが可愛いと言ってもらえる。*9 だから、ラブライブのキャラクターにコンプレックスは感じない。アイドル並みの容姿も持っていない時点で、私はラブライブの彼女たちと同じ土俵に立っていない。むしろ、アイドル活動するような可愛い女の子しか社会的に評価されないんだなーって世界観がキツイ。学校の広報担当としてアイドル活動して、入学者数の増加に貢献するような女の子の方が良い内申点もらえるんだろうな、っていう。だったらアイドル活動しなくても勉強の成績次第で良い内申点もらえそうなタイバニの世界の方が良いや。

極端な話、どんなに顔面偏差値が高くてもショボイ能力持ちはヒーローになれないが、そこそこの能力持ちならどんな不細工でもヒーローになれる。スカイハイやバーナビー・ブルックスJr.のような戦闘向きの能力でなくてもヒーローになれることは、折紙サイクロンの存在が証明してくれている。イワンのコンプレックスの一因は、自分の能力がエドワードのように戦闘向きでない(≒ヒーロー向きでない)点にある。

タイバニが取りこぼしたのは、顔面偏差値とまったく無関係な能力とそれを支える努力面においてのみ人間を評価する世界観によって、コンプレックスを刺激される視聴者なのではないだろうか。なぜなら顔面偏差値の低さはすぐに諦めがつくが、能力の低さ、努力の不足は目視で判断し辛いからだ。

「顔面偏差値必須の能力主義」という壁によってラブライブのフィクション性は高まるが、タイバニは「顔面偏差値不要の能力主義」という点でフィクション性が低くなる。

とってつけた言い訳のようだけど、タイバニの世界観にコンプレックスを刺激される人間は性別を問わない。ただし、タイバニの男性ヒーロー陣と同世代の男性の方が、同世代の女性よりもコンプレックスを感じやすい構造にアニメがなっているのではないか。つまり、視聴者にコンプレックスを感じる原因があるのではなく、タイバニの物語そのものが、視聴者にコンプレックスを抱かせるよう誘導するかのような構造を内包しているのではないか、という話。*10

タイバニは「努力する人間が成功するのは当然、努力しない人間が失敗するのも当然」って近代的な神話を再強化する物語なので、「あなたの人生がうまくいかないのは努力が足りないからです」という方向性でメッセージが解釈されると反感を買いやすい。反対に「あなたは充分頑張ってるけど、他の人よりちょっと顔面偏差値が足りないんです」と言われると、それならまあ仕方ないかな、と諦められる。

そんなところが、タイバニとラブライブのファン層の違いに現れているのではないかしらん。

*1:「抑圧された自己肯定感やプライドの復権」……簡単に言うと、「こんなに頑張ってるのに評価してもらえない、報われない」って感じてる人が、やっと自分の努力を認めてもらえた!って感じることです。承認欲求が満たされるっていうか。

*2:オッサン・おじさん世代……おそらく、虎徹さんみたいな30代後半~40代前半の、中間管理職の男性が一番のターゲット。思春期の子供はいてもいなくても良い。あるいは、アントニオみたいに独身で、仕事のやり方や方向性を模索してる男性。

*3:世代問わず、腐女子か否かも問わない

*4:首位陥落とはいえランキング上位に入ってるからそれなりに仕事も順調だし、14話の内容はほとんど恋愛の悩みが中心である。スカイハイが「不調」に見えるのはキング・オブ・ヒーローの座を維持できなくなったから「不調」なのであって、キング・オブ・ヒーローであり続けるスカイハイの状態こそがむしろ「異常」なのである。

*5:他のヒーローとの体格差で、どうしても成長期途中の高校生に見えてしまう。

*6:バニーちゃんってメンタル凍み豆腐だけどなんだかんだお家柄しっかりしてるし資産持ちだしハンサムだし頭も良いし物理的強いし仕事相手にもファン(主に女性)にもソツのない対応できてるし(虎徹さんを除く)、社会的に見ればスカイハイレベルの勝ち組だからね。しかも家族を悪党に殺された悲劇のヒーローというオマケつき

*7:これまた外見的にもマチズモの極致みたいな顔&体格でヒーローに転向した元モデル、物理的に強いしビジネス上手だし(一応そういうことになってる)アントレプレナー系でガンガン仕事してどんどん稼いでって才覚も実力もあるのにバニーちゃんより年下だからね、コイツ

*8:「ランキング最下位の僕は、ヒーローに向いてないんだ」じゃなくて、「やっぱり僕には、ヒーローなんて向いてないんだ。だってランキング最下位だし…」の違い。

*9:完全無欠の美しさよりも、不完全な美しさの方が高く評価される。

*10:そういう意味で、冒頭の「タイバニが受けないタイプの人」のイメージ像はミスリードだから書くべきではなかった

『シン・ゴジラ』:幻想は幻想のままにしておくべきか?

ネタバレ注意
for 『シンゴジラ』(2016)

ネタバレってほどのネタバレもないんですけれど、簡単に。

日本のドラマあるあるの芝居がかった(舞台がかった?)ギトギト演技がほぼなく、セリフも場面も小気味いいテンポでさくさく展開するストレスフリーな映画でした。正体不明の巨大生物が関東圏でばっほばっほのたうちまわってるので当然っちゃ当然なんですが、それなりに駆け足で話が進みます。

初期の段階で俳優陣の豪華さに脳震盪を起こしてたのでもうこりゃあひと安心だわいとソファでごろ寝して観てたんですが、うん。石原さとみが……っていうか、石原さとみを起用したのはぶっちゃけ判断ミスだと思う。純ジャパが純ジャパ認定する純ジャパ好みの純ジャパ的容姿だよね……純ジャパの日本人の外見で日本語も英語もそれなりに話せる俳優を使うなら、石田純一の娘・すみれか祐真キキ(ヒーローズ・リボーン等に出演)あたりが妥当だったんではないかと。

※ここでいう「純ジャパ」は、日本産まれ日本育ちのザ・日本人って外見で、海外には旅行でしか行ったことがない、もしくはパスポート自体作ったことがない人を想定してます。「外国人」と聞いてまず想像するのは金髪碧眼で英語を話す「ガイジン」で、中国人とか韓国人とか、フィリピン人とかナイジェリア人とかチリ人とかロシア人とか、指摘されてからじゃないと思いつかないタイプの人。

石原さとみが日系三世を演じている、と聴いたのは『シン・ゴジラ』が公開される前だった。まず疑問に思ったのが、英語のレベル。次に気になったのが、純ジャパがアメリカ生まれアメリカ育ちの日系人を演じることについて。ピクシブでタイバニの二次創作を漁ってたときから、虎徹さんがさも純ジャパであるかのような描写をあっちこっちで目にしていたので(てか公式アニメの次回予告でもそんな扱いだし)、純ジャパの人って日系人のことよく知らないんだろうなって思ってたのね。そういう私も日系人のエキスパートってわけではないけど、少なくとも日常会話レベルで使う英単語やフレーズを知らなかったり、アメリカ生まれアメリカ育ちのネイティブなら知らないはずがない一般常識を知らずに「バニーちゃん、物知りだな!」って褒める虎徹さんの描写はさすがに奇異だと思うし、それ、虎徹さんが知らなかったんじゃなくて作者の貴方が知らなかった(&珍しがった)だけでしょ? と小説やら漫画やらの投稿者にツッコミ入れたくなったりするわけです。現実はそっとじブラウザバックなわけだけども。要は自分と同じ「日系」ってだけで、純ジャパも外国で生まれ育った日系人も全部「日本人」扱いしちゃう問題ですね。

で、この日系人の描写云々とはまた別の問題なんですが、帰国子女をガイジン扱いするっつークソカルチャーが日本の小学校やら中学校やらにはありまして、大学受験で英語が勉強必須になってくるとこのクソカルチャーは緩和されるんですが、私はちょうど帰国子女の数が増える前&海外ホームステイが流行る前の帰国組だったのでこのクソカルチャーの恩恵というか、被害を受けた記憶が多々あります。英語の授業の時に純ジャパ式英語の発音で発音しないのを馬鹿にされたりとかね。これがどこか海っぺり山っぺりの電車が一日に三本しか来ないようなド田舎ならまだ諦めもつくんですが、予定の電車に乗り遅れても5分以内には次の電車が来るような東京都の私立校ですらこの有り様だったので、純ジャパの「え~? そんなことないよ~! たまたまダメなクラスに当たっちゃっただけじゃないの~?」って世迷言は信用しないことにしています。つい数日前にツイッターで、ヘアサロンのお客さんがスタッフ(高校時代のいじめの加害者)に「あんたは自分のやったこと忘れてるだろうけど、私は一生許さない!」って激怒・お金払って立ち去った話が大量RTされてましたが、だいたいあんな心境です。当事者は往々にして自分のやったことを忘れてるし、傍観を決めこんでいたサイレント・アビューザーも自分たちが黙って傍観することでいじめを容認してたことなんか忘れてるんですよ。なんにせよ、貴方の学校で本当に帰国生いじめがなかったのならそれはそれで良いことです。

話が過去の個人的な恨み言に逸れましたが、逸れたついでにもう一つ。大学生・社会人になると、今度は「海外在住経験」なるものに対する羨望と嫉妬のようなものが一部の純ジャパの方々に見受けられまして、やたらと「えっ、すごいねー! ちょっと英語で自己紹介してよ」と見世物パンダにされるか、何かにつけて「お前は日本の常識が分かってないな」と勝手に劣等感に苛まれている諸先輩方の自尊心を満たすためのサンドバッグにされます。これがどこぞのFランと馬鹿にされているような大学ならさもありなん、と諦めることもできるのでしょうが、首都圏のAランク大学ですらこの体たらくなので以下略。親の仕事でしたくもない転校を迫られ言葉の通じない異国の学校に放り出された挙句現地の生活に慣れたと思ったらまた転勤で別の地へと引きずり回される生活が苦痛でなければ帰国生になるのも悪くないよと放言できますが、現実問題、現地校と日本人学校の簡易版ダブルスクール状態だわ宿題大量にこなさなきゃだわ覚えるべき言語の量も二倍だわなので「ヒトの苦労も知らんと呑気なこと抜かしよってからに…」が本音ですね。摩訶不思議な力でいつの間にやらバイリンガルになったんじゃなくて、必死こいて勉強した賜物なんですけどね。ええ。どうもそのへんの想像力がモノリンガルな純ジャパの皆々様方に置かれましてはお働きになりませんようで。はあ。

(とはいうものの、「純ジャパ」といっても人それぞれなんですよね。分かってくれない人もいるけど、分かってくれる人もいる。大人になってからの方が、分かってくれる人に出会う機会が増えたなぁ。あと妙な羨望やら劣等感やらを向けてこない、それこそフッツーに普通の対等な人間として接してくれる人が増えた。ほんと、歳を取って良かった)

また話しが脇に逸れました。カヨコ・アン・パタースンの話でしたね。

石原さとみの起用は明らかに人選ミスだって話ですが、ざっくり言って問題点は2つです。

1:純ジャパの演じる日系人は、所詮純ジャパの想像するガイジンとしての日系人像の域を出ない。妄想の域を出ない、と言い換えても良い。

2:緊急事態で少しでも時間を節約&議論を進めたい設定なのに、一回聞いただけでは何を言ってるのか分からない英語なのでイライラする。(ネイティブの発音を再現できない問題)

 

1に関しては「ホワイトウォッシュ問題」と言えば通じると思います。通じない人は自分で調べてください。

シンゴジラは「ホワイトウォッシュ」ならぬ「純ジャパウォッシュ」の映画で、アメリカですでに活躍している日系アメリカ人の俳優にオファーを出してカヨコ役を演じてもらえばいいものを、わざわざ純ジャパの俳優にアメリカ人の役をやらせています。米軍基地の軍人や海外からの派遣調査団にはちゃーんと英語の話せる白人俳優(黒人やヒスパニック等の非白人系はいない…)を起用しているにも関わらず、です。んで、前述した個人的恨みつらみとも関わってくるんですが、「Where's ZARA?」の「空気の読めない自分勝手な」カヨコ像って、まんま純ジャパの考える「空気の読めない自分勝手な」帰国生像とほとんど変わらないんですよね。もしこれが石原さとみじゃなくてベッキーとかホラン千秋とか、白人と日本人のハーフの俳優だったら、こういうセリフは言わせないと思うんですよ。あの場で「Where's ZARA?」がトンチキ発言だってのは誰が見ても明らかだし、アメリカ人役の白人系俳優にこんなアホなセリフ言わせたら「おまえアメリカ人馬鹿にしてんの?」って言われても当然だと思うんだけど、あらふしぎ。純ジャパ顔の石原さとみが「Where's ZARA?」って言うと、途端に笑いを狙った「ギャグ」ってことになるんですね……。ギャグの構造としては「空気の読めない自分勝手な」ガイジンが場にそぐわない発言をして観客を笑わせる、ってもはやギャグとしてすら機能しないレイシズムに満ちたシーンなわけですが、演じてるのが石原さとみだから一瞬「空気の読めない自分勝手な」帰国生の発言っぽくてギャグに見せかけられると思われてるようで……おえっ。あるいは、いっそガイジンとか帰国生とか抜きにして「空気の読めない自分勝手な」若い女、ってことでも良いかもしれませんね。こんな非常時ですら若い女は自分の服の汚れだの着替えがないだのファッションのことしか考えてない、みたいな。

2に関して。ネットで検索すると「石原さとみの英語は普通の日本人よりうまい!下手くそとか言って馬鹿にしてるのは外国かぶれの発音厨だけ!」みたいな話を見かけるんですが、いやー日系アメリカ人の役をやるのに「普通の日本人よりうまい」レベルじゃ全然ダメダメでしょ…交換留学で渡米してる日本人学生役ならいざ知らず……。

実は映画を観る前に石原さとみのインタビュー記事を読んで、すごく真面目に役作りに取り組んでいるのは知ってたので、石原里美の英語力には期待してたんですよ。で、ほぼ想定通りのレベルではあったんですが、どう考えても英語ネイティブの日系アメリカ人のレベルではない。アメリカで日系人がどういう扱いを受けてきたか、ということも考慮すると、カヨコのような純ジャパな容姿を持った日系三世が「大統領特使」なんて要職に就けるのかすらも怪しい……「父は上院議員で名家の出身」かつ大統領特使に任命される立場で「40代で大統領職に就くことも考えている政府要人」であるならば、カヨコは「祖母一人だけが日本人で他の親族は全員白人系」でなければ説明がつかない(そうなると「日系」とレッテルを貼ることすらおこがましい気もするが…)。アメリカは1945年の終戦後もしばらく日本人の移民流入を法律で禁止していて、当時アメリカに移り住めたのは米軍兵士と結婚した日本人女性にほぼ限られていたんですね。1940年代後半と言えば、カヨコの祖母が結婚・出産してるくらいの時代だと思います。戦前からアメリカに住んでいた日系移民は戦時中は収容所に隔離されていたし、戦後は戦後で厳しい人種差別に苦しみながら白人がやりたがらない仕事、俗にいうmenial laborで生計を立てる人々が中心だった。そんな状況で、カヨコの父が上院議員になれるはずもない。「名家の出身」も何もないわけですよ。だいたい「名家」ってなんだ? 祖母の祖先が公家か皇族だったとか??

で、発音の話に戻りますが、カヨコの政界での立ち位置やら親族の設定やらを考えると、石原さとみのザ・純ジャパな外見にそもそも無理がある。仮に二親等以内の親族は全員日系ですって設定を看過して、日系人の話す英語に「日系人特有の訛り」があったとしても、どう考えても石原里美の英語力では太刀打ちできないんですよ。「そこらの純ジャパよりちょっと上手い」レベルの英語力では。なぜなら、その「日系人特有の訛り」を再現できていないからです。だから「訛りのない英語なんてないんだ!」って見苦しい言い訳を見るたびに、えぇええ…と思うわけです。石原さとみの英語は、発音・呂律・会話のスピードといった点で「カヨコ・アン・パタースン」という英語ネイティブの日系アメリカ人を演じるのに不適格なので。

ほんと、カヨコ役でなければなぁと返す返すも残念に思います。

厳密に言えば、石原さとみの英語力・演技力の問題ではなくて、キャストの人選担当、演出担当の側の問題なんですけどね…以下、上記に書き忘れたことをちらほらと。

カタカナ語をなんでもネイティブ風の発音にすれば「日本語を喋ってるガイジン」になると思ったら大間違い(例:パーセントがpercent)
・なぜか独り言が日本語(おいおい英語が母語なんじゃないのか)
・一発で何を言ってるのか分からない発話形態はネイティブとして発音がどーのこーの以前に映画のシーンとしてまずい。
・飛行機内(?)で「40代で大統領目指す云々」の話をしてるときの会話スピードが遅すぎる。純ジャパが会話に参加してない状態でネイティブ同士があんなにゆっくり喋るのは明らかに変。大学受験のリスニング問題かよ。石原さとみの会話スピードの遅さを誤魔化すために、相手役の人に超低速で話してもらってるのが見え見え。

それから『シン・ゴジラ』の日系アメリカ人表象とは一切関係ないんですが、冷凍されたゴジラゴジラが動き出したら3000有余秒で国連軍が即座に攻撃ってあれ、国連憲章敵国条項のこと指してるんですかね? ゴジラの攻撃で東京界隈が瓦礫の山になるの、第二次世界大戦中の東京大空襲のトラウマ追体験っぽいな~と思ってたんですが、ゴジラは日本そのものなのかな…

テレ朝版『そして誰もいなくなった』:女性の医者と引き換えに失ったもの

ネタバレ注意
for BBC版『そして誰もいなくなった』(2015)
for テレ朝版『そして誰もいなくなった』(2017)

2015年にBBCがドラマ化したばかりなので、脚本や演出の面ですごく苦労した作品だと思う。分かりやすい主な変更点は、たとえばBBC版が戦前のイギリスを舞台にしているのに対して、テレ朝版は現代の日本(21世紀の八丈島周辺)に変更された他、十人の兵隊の詩が民謡風の歌詞になるなど、『かまいたちの夜』や横溝正史の小説を彷彿とさせる翻案がなされている。また、洋館のオーナーに自然回帰主義者という設定を加えることで宿泊者の携帯電話・タブレット端末を回収し、都会との交通手段・連絡手段を持たない絶海の孤島として兵隊島を密室に仕上げたのも面白い。(単に私好みの設定だから褒めてる、というのもある。)ドラマを見ながら「自然回帰」と「暖簾」をきっかけに、戦前の民芸復興運動について考えていたので、額に入った十人の兵隊の詩が棟方志功木版画っぽいな、と本筋に関係ないところで一人うきうきしていた。

人物描写もけっこう淡々としていて、日本のドラマでよくある(と私が感じているだけかも?)異様に脂ぎった感情表現や犯人の長ったらしい自己弁護、CM直前に見たシーンをCM直後にまた見せられるうんざり感が極力排除された、イライラ感の少ない構成になっていたように思う。終盤の捜査編で探偵役を務める相国寺警部(沢村一樹)はコミュニケーション能力に難がありまくりけど、さくさく情報収集して一気に事件を解決してくれるので、気楽に見ていられた。前もって犯人や登場人物の退場する順番を知っていたのも、のんびり見ていられた一因かも。

それから、登場人物のキャスティングも楽しんで視聴できた理由のひとつだ。日本のサスペンスもの・ミステリーものに馴染みがある人は、特にそうだと思う。いままで数々の難事件を解決してきた仲間由紀恵橋爪功渡瀬恒彦が殺人者として殺し、被害者として殺される役なんだから、テンションが上がらないわけがない。十津川さんがシリアルキラーなんだよ? 信じられるか?? 橋爪さんが仕えている大奥様を窒息死させるシーンは、思わず「キョートにっぽー!」と叫んでしまった。ダメよ杉浦さん…あんなにたくさん京都の迷宮を案内してきたじゃない……キャップがどんなに嘆くか……と嘆きながら甘納豆食べてました。ありがとう、テレ朝。ありがとう、監督。ありがとう、脚本家。御社のキャスティングは大成功です。

BBC版との比較でもうひとつ面白いと思ったのが、医者が男性から女性に変更されてるところ。しかも超whimperingでヒンヒン泣きわめくドクター・アームストロング(Toby Stephens)が、一言も弱音を吐かない肝の座ったドクター・神波(余貴美子)に変わってるのね。ヒステリックな女医に改変されるのかな…と不安だったので、これにはちょっと驚いた。(若干「名誉男性」っぽくもあるけど…)

改変といえば、元刑事のブロア(Burm Gorman)が男性の同性愛者を監房で殴る蹴るの暴行の末、殺人を犯した(原因:ホモフォビア)のに対して、久間部堅吉(國村隼)が法廷で偽証&被告人が死刑になるよう仕向けた(原因:被告人の妻をDVから守るため)のはなんでだろう。美談になっちゃっててなんだかなぁ、というのと、男性の同性愛者&ゲイ差別によるヘイトクライム殺人を登場させるのに抵抗があったのか知らん、と疑ってしまう。

というのも、星空綾子(大地真央)が隠れ同性愛者で、お手伝いさんの女性に片思いしてるらしいってことは匂わせてるんですよね(指輪のシーンとか)。で、星空綾子はそのお手伝いさんが妊娠してると知って(相手の男は不明)、医者に頼んで本人の承諾なしに中絶手術を受けさせる。お手伝いさんは星空綾子に、私は子供を産みたかったのに…と怒り、最終的にこの事を苦にして自殺。BBC版はというと、隠れ同性愛者のブレント夫人(Miranda Richardson)が戦争孤児の少女に片思いをしてるんだけど、妊娠してるのが発覚して少女を家から追い出したところ、少女は他に頼れる大人はいないし自力で解決もできないし…ってんで線路に飛び込んで自殺する。星空綾子もブレント夫人も「赤ん坊殺しのレズビアン」(ヘテロセクシャルなカップルによる"愛の結晶"を壊したゲイの女性)って意味では似てるんだけど、うーん。

ゲイ男性に対するヘイトクライムは、ヘテロ男性がヘテロ女性を窮状から救うためのヒロイックなエピソードに改変するのに、ゲイ女性がヘテロ女性(&赤ちゃん)を見殺しにしたことは、ゲイ女性が赤ちゃん(&その母親/ヘテロ女性)を殺したエピソードに改変するのね……と、ついうがった目で見てしまった。BBC版は戦争孤児の少女(&その赤ちゃん)に重点を、テレ朝は胎児(&お手伝いさん)の順番に重点をおいてるので、こういう違いが生まれるのかも。ブレント夫人が(一応)敬虔なクリスチャンだってことも、関係してるかもね。

BBC版ではブレント夫人以外に、元刑事のブロアも同性愛者なんじゃないの? って説があるんだけど、テレ朝版の同性愛者は星空綾子だけで、久間部が同性愛者であることを示唆する描写はまったくない。なぜだテレ朝…なぜ久間部がゲイ男性である可能性も、彼のホモフォビックな跡形もなく消し去ったのに、星空綾子はまんま同性愛者なのだ…。「原作の人物像を優先したからだ」と言われればそれまでなんですが、それ言ったら原作のブレント夫人も同性愛者じゃないからな! 原作のブロアなんて賄賂貰って偽証した結果被告人の妻子が母子家庭になって苦労するエンドだからな!

テレ朝版は女性の登場人物を一人増やした代わりに、同性愛差別が一層強烈になりました、というおはなし。