Matcha frappuccino

with a shot of espresso

08262017

フランコ・モレッティ『遠読ー〈世界文学システム〉への挑戦ー』を読み始めた。
やべー何言ってんのか全然わかんねー。しかし、分からないけど分からないなりに読み続けるのが研究においてもっとも重要な姿勢なのであります、はい。……うう、逃げたい。

レポート書くために読む学術書・専門書って、普通の雑誌とか小説、漫画とはちょっと違った読み方のコツが必要なんだよね。

▼学術書を読むための3ステップ
1:本の目次を確認する
2:参考文献・注釈を確認する。
3:まえがき・あとがきを確認する。

実はこの3つを最初にやるだけで学術書・専門書を読むのがかなり楽になるんだけど、案外知られてなかったりするようです。そろそろ卒論書きはじめなきゃって大学3・4年生はこれを覚えておくと調べ物が楽になるし、効率も上がると思う。

1:本の目次を確認する
まずは、自分の読もうとしてる本が全部で何ページなのか、何章構成の本なのか、といった点を確認しよう。あと何ページ読めばこの苦痛が終わるのか、という目安になるので非常におすすめ。*1また、今日は一章分しか読まないけど、明日は二章分読もう、と予定を立てるのにも便利。
たとえばモレッティ『遠読』の場合、第一章:60ページ、第二章:26ページ、第三章:38ページ、第四章:20ページ、第五章18ページ…と第一章に比べて第二章以降が極端に短いので、今日は第一・二章だけ読むけど、明日は同じ時間で第三・四・五章が読めそうだ、と時間の使い方を予測することができる。

2:参考文献・注釈を確認する。
学術書・専門書によって、参考文献・注釈のリストを末尾にドーンと一括で載せている本と、章ごとに小分けして載せている本とがある。*2参考文献・注釈のリストは一応確認した方が良いけど、時間がなかったら読まなくてもOK。*3
モレッティ『遠読』で言えば、第一章が全部で60ページあるけど、最後の10ページはほぼ参考文献・注釈一覧なので、実質50ページしか読まなくて良い。この時点で、義務的に読まなきゃいけない第一章のページ数が約20%減ったことになる。第二章は全26ページ中9ページが注釈なので、実質約3分の2、17ページしか読まなくていい。

3:まえがき・あとがきを確認する。
なぜこの二つを最初に確認するかというと、筆者or翻訳者がその本の主旨について書いている場合があるから。「本書の目的」、各章の要約、筆者(原著者)の主張や結論がさらっと書かれてたりするので、それを踏まえて本を読むと、筆者がどんなテーマについて、どんな風に説明しようとしているのかが理解しやすくなる。その本を読むスピードも上がるので絶対にやった方が良い。
再度、モレッティ『遠読』の場合。『遠読』には「まえがき」はないが、翻訳チームの代表者として秋草俊一郎氏の書いた「あとがき」がある。氏によれば、『遠読』は「モレッティが九〇年代から、二〇一〇年代にかけて発表してきた論文十編を集成した」*4本で、独立した論文としてバラバラに発表されたものを一冊の本にまとめたものである。モレッティは『遠読』で、1920年代にイギリスで生まれたニュークリティシズムの研究手法「精読 close reading」に対し「遠読 distant reading」という方法を提唱している。「遠読」という名前は第二章にあたる「世界文学への試論」が初出。「世界文学という巨大なテクスト群にアプローチするうえで、原語でテクストを丁寧に読むのをやめて、翻訳や他言語・他地域の専門家の研究をもとにして分析する」*5研究スタイルで、「精読」と「遠読」の研究手法をうまいことバランスよく組み合わせて文学研究しようぜ、というのがモレッティの主張である。
ただし、この「遠読」の手法にはマイナス面・デメリットもあって、(1)「精読」を中心とした伝統的・保守的な研究をする層からの拒否感がすごい、(2)充分な知識量・情報量がないと、うっかり「非西洋圏の「文学」の分析に西洋のパラダイムを適用」するといった問題点がある*6、(3)「遠読」に向いてる作品と向いてない作品がある*7、といった欠点がある。

……と、こんな風に『遠読』の「あとがき」に書いてある「遠読」の概要を理解してから『遠読』の第一章を開くと、本文を読み進めるのが楽になるようなならないような。ああ~~~学術書じゃなくて小説が読みたい。

*1:みんながみんな、本を読むのが好きなワケじゃないし、課題だからと割り切って我慢して読めるワケでもないのだ…。

*2:第一章の参考文献・注釈は第一章の最後に、第二章の参考文献・注釈は第二章の最後に、第三章の参考文献・注釈は第三章の最後に載せる……というパターン。

*3:ただし、この「読むか読まないか」の二択は賭けみたいなもので、読まないよりは読んだ方が、当然本に対する理態度は深まる。なので、レポートの締切が三日後で間に合わない!やばい!って時以外は軽く目を通した方が良い

*4:『遠読』p.326

*5:『遠読』p.329

*6:たとえば、Literatureの訳語が「文学」だからといって、英語圏における「文学」の定義が日本や中国における「文学」の定義と同じだとは限らない、ということ。日本語の「文学」と中国語の「文学」も、厳密に言えば定義が違うかもしれない。まったく異なる歴史や伝統、文化の中で生まれた「Literture」と「文学」を、同一の判断基準でもって分析・評価するのは無理があるよね?と「遠読」は批判されている。

*7:「遠読は、ある一時期に大量に採算されたテクスト群(たとえば「文学の屠場」で扱った初期英国犯罪小説など)を扱うのには適して」いるが、「少部数しか生産されず、社会のかぎられた層」にしか読まれず評価されない「「純文学」にはうまく当てはまらないケースが多いのではないか」『遠読』p.331