Matcha frappuccino

with a shot of espresso

11122017

地上波で『シンゴジラ』をやっていると聞いて、昔書いた雑文をひっぱり出してきた。

んでもってやっぱり石原さとみ演じるカヨコについてごちゃごちゃ言われてたんで、『シンゴジラ』の感想で過去の文章から使えそうなところだけ抜き出してみた。

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日本のドラマあるあるの芝居がかった(舞台がかった?)ギトギト演技がほぼなく、セリフも場面も小気味いいテンポでさくさく展開するストレスフリーな映画。正体不明の巨大生物が関東圏でばっほばっほのたうちまわっている。それなりに駆け足で話が進む。

初期の段階で俳優陣の豪華さに脳震盪を起こしつつ、もうこりゃひと安心だとソファでごろ寝してたら石原さとみ、というかカヨコ・パタースンのがっかり感がひどい。石原さとみを起用したのはぶっちゃけ判断ミスだと思う(石原さとみごめん)。純ジャパが純ジャパ認定する純ジャパ好みの純ジャパな容姿だよね……純ジャパっぽい日本人の外見で日本語も英語もそれなりに話せる俳優を使うなら、石田純一の娘・すみれか祐真キキ(ヒーローズ・リボーン等に出演)あたりが妥当なんじゃないか?

※「純ジャパ」は日本産まれ日本育ちのザ・日本人な外見で、海外には旅行でしか行ったことがない、もしくはパスポート自体作ったことがない人をイメージしてください。「外国人」と聞いてまず想像するのが名探偵コナンのジョディ先生的な金髪碧眼で片言の日本語しか話せない「ガイジン」で、中国人とか韓国人とか、フィリピン人とかナイジェリア人とかチリ人とかロシア人とか、指摘されてからじゃないと思いつかないタイプの人。

石原さとみが日系三世を演じている、と聴いたのは『シン・ゴジラ』が公開される前だった。まず疑問に思ったのが、英語のレベル。次に気になったのが、純ジャパがアメリカ生まれアメリカ育ちの日系人を演じることについて。ピクシブでタイバニの二次創作を漁ってたときから、虎徹さんがさも純ジャパであるかのような描写をあっちこっちで目にしていたので(てか公式アニメの次回予告でもそんな扱いだし)、純ジャパの人がイメージする「日系人」て「純ジャパ」と区別つかないレベルなんだな、とは思ってた。私も日系人のエキスパートではないけど(研究対象違うし)、少なくとも日常会話レベルで使う基本的な英単語やフレーズを知らなかったり、アメリカ生まれアメリカ育ちのネイティブが知らなかったら日常生活に支障をきたすような一般常識を知らずに「バニーちゃん、物知りだな!」って褒める虎徹さんの描写は奇異だと思うし、それ、虎徹さんが知らなかったんじゃなくて作者の貴方が知らなかった(&珍しがった)だけでは? と小説やら漫画やらの投稿者に心の中でツッコミを入れつつそっとブラウザバックすることは多々あるわけで。要は自分と同じ「日本人」っぽいってだけで、純ジャパも外国で生まれ育った日系人も全部「日本人」扱いしちゃう傾向が純ジャパの人にはある。

ところで、同じ「日本人」的外見であるにもかかわらず、なぜだか帰国子女は被差別民枠のガイジンとして扱うっつークソカルチャーが日本の小学校やら中学校やらにある。大学受験で英語が勉強必須になってくるとこのクソカルチャーはやや緩和されるっぽいんだが、私はちょうど帰国子女の数が増える前&海外ホームステイが流行る前の帰国組だったのから、このクソカルチャーの恩恵というか、被害を受けた記憶が多いにある。英語の授業の時に純ジャパ式英語の発音で話さないのを馬鹿にされたりとかね。頼むから勉強歴数か月の自分らと比べてくれるな、と思う(初心者には初心者なりに、中級者には中級者なりに乗り越えるべき課題が異なるのだから)。これがどこか「白人なんてテレビでしか見たことない」レベルの地方の農村ならまだ諦めもつくんだけど、予定の電車に乗り遅れても5分以内には次の電車が来るような東京の私立校ですらこの有り様なんで、純ジャパの「え~? そんなことないよ~! たまたまダメなクラスに当たっちゃっただけじゃないの~?」って世迷言は信用ならない確信がある。ずいぶん前にツイッターで、ヘアサロンのお客さんがスタッフ(高校時代のいじめの加害者)に「あんたは自分のやったこと忘れてるだろうけど、私は一生許さない」って激怒・お金だけ払って立ち去った話が大量RTされてたけど、あの心境めっちゃわかるわー。当事者は往々にして自分のやったことを忘れてるし、傍観を決めこんでいたサイレント・アビューザーも自分たちが黙って傍観することでいじめを容認してたことなんか忘れてるんだよね。なんにせよ、貴方の学校で本当に帰国生いじめがなかったのならそれはそれで良いことだ。

話が過去の個人的な恨み言にだいぶ逸れたが、逸れたついでにもう一つ。大学生・社会人になると、今度は「海外在住経験」なるものに対する羨望と嫉妬のようなものが純ジャパの人にはあるらしくて(都心の人間特有かもしれんが)、やたらと「えっ、すごいねー! ちょっと英語で自己紹介してよ」と見世物パンダにされるか、何かにつけて「お前は日本の常識が分かってないな」と勝手に劣等感に苛まれている諸先輩方(笑)の自尊心を満たすためのサンドバッグにされるんだよなぁ。これがどこぞのFラン大学と馬鹿にされてるような教育機関ならさもありなんと諦められるんだろうが、首都圏のAランですらこの体たらくなので以下略。親の仕事でしたくもない転校を迫られ言葉の通じない異国の学校に放り出された挙句現地の生活に慣れたと思ったらまた転勤で別の地へと引きずり回される生活が苦痛でなければ帰国生になるのも悪くないよ、と放言できるが、現実問題、現地校と日本人学校の簡易版ダブルスクール状態だわ宿題大量にこなさなきゃだわ覚えるべき言語の量も二倍だわなので「ヒトの苦労も知らんと呑気なこと抜かしよってからに」が率直な本音やね。摩訶不思議な力でいつの間にやらあ~ら不思議・バイリンガル!になったんじゃなくて、必死こいて勉強した賜物なんだどね。どうもそのへんの想像力がモノリンガル・ジャパニーズな純ジャパの皆々様方に置かれましてはお働きになりませんようで。ええ、はい。

(とはいうものの、「純ジャパ」カテゴリの人も帰国子女と同じで十人十色なんだよね。完全に理解できてないクソヤローもいるけど、転勤族の苦労だったり語学学習の大変さだったりを知ってる理解者もいる。大人になってからの方が、話を分かってくれる人に出会う機会が増えた気がする。あと妙な羨望やら劣等感やらを向けてこない、それこそフッツーに普通の対等な人間として接してくれる人が増えた。ほんと、歳とって良かった。)

また話しが脇に逸れた。カヨコ・アン・パタースンの話や。

石原さとみの起用は明らかに人選ミスだって話だけど、ざっくり言って問題点は2つ。

1:純ジャパの演じる日系人は、所詮純ジャパの想像するなんちゃって片言ガイジンとしての日系人像の域を出ない。純ジャパ的妄想の域を出ない、と言い換えても良い。

2:緊急事態で少しでも時間を節約&議論を進めたい設定なのに、一回聞いただけでは何を言ってるのか分からない英語なのでイライラする。(ネイティブの発音を再現できない問題)

 

1に関しては「ホワイトウォッシュ問題」と言えば、通じる人には通じるんではないか。通じない人は自分で調べてくれ。

シンゴジラは「ホワイトウォッシュ」ならぬ「純ジャパウォッシュ」の映画で、アメリカですでに活躍している日系アメリカ人の俳優にオファーを出してカヨコ役を演じてもらえばいいものを、わざわざ純ジャパの俳優にアメリカ人の役をやらせている。あれかな、やっぱジョージ・タケイみたいなガチの日系人(しかも男性)にカヨコポジで演じさせようとすると、カヨコの荒唐無稽さが際立っちゃうんだろうな。米軍基地の軍人や海外からの派遣調査団にはちゃんと英語の話せる白人俳優(だが黒人やヒスパニック等の非白人系はいない…)を起用しているにも関わらず。んで、前述した個人的恨みつらみとも関わってくるんだが、「Where's ZARA?」の「空気の読めない自分勝手な」カヨコ像って、まんま純ジャパの考える「空気の読めない自分勝手な」帰国生像とほとんど変わらないんだよね。より厳密には「空気の読めない自分勝手な」(ガイジンとしての)カヨコと、「空気の読めない自分勝手な」(ガイジン気取りの)帰国子女、になるんだろうか。もしこれが石原さとみじゃなくてベッキーとかホラン千秋とか、白人と日本人のハーフの俳優だったら、こういうセリフは言わせないと思うんだよね。あの場で「Where's ZARA?」がトンチキ発言だってのは誰が見ても明らかだし、アメリカ人役の白人系俳優にこんなアホなセリフ言わせたら「おまえアメリカ人馬鹿にしてんの?」って言われても当然だと思うんだけど、あーらふしぎ。純ジャパ顔の石原さとみが「Where's ZARA?」って言うと、途端に笑いを狙った「ギャグ」ってことになるんだな……それがレイシズムの一種だとも知らずに。あーあ。ギャグの構造としては「空気の読めない自分勝手な」ガイジンが場にそぐわない発言をして観客を笑わせる、ってもはやギャグとしてすら機能しないレイシズムに満ちたシーンなわけだが、演じてるのが石原さとみだから一瞬「空気の読めない自分勝手な」帰国生の発言っぽくてギャグに見せかけられると思われてるんだろうね、オエーッ。あるいは、いっそガイジンとか帰国生とか抜きにして「空気の読めない自分勝手な」若い女、ってことでも良いかもしれんね。こんな非常時ですら若い女は自分の服の汚れだの着替えがないだのファッションのことしか考えてない、みたいな。

2に関して。ネットで検索すると「石原さとみの英語は普通の日本人よりうまい!下手くそとか言って馬鹿にしてるのは外国かぶれの発音厨だけ!」みたいな話を見かけるんですが、いやー日系アメリカ人の役をやるのに「普通の日本人よりうまい」レベルじゃ全然、ダーメダメでしょ…語学留学かなんかで渡米してる日本人学生役ならいざ知らず……。

映画を観る前に石原さとみのインタビュー記事を読んで、すごく真面目に役作りに取り組んでいるのは知ってたので、石原さとみの英語力には期待してたんだわ。で、ほぼ想定通りのレベルではあったし、おお頑張ってんじゃん、という気持ちにもなった。だけどどう考えても英語ネイティブの日系アメリカ人のレベルではない。すくなくとも「3世」では絶対にない。アメリカで日系人がどういう扱いを受けてきたか、ということも考慮すると、カヨコのような純ジャパな容姿を持った日系3世が「大統領特使」なんて要職に就けるのかすらも怪しい……「父は上院議員で名家の出身」かつ大統領特使に任命される立場で「40代で大統領職に就くことも考えている政府要人」であるならば、カヨコは「祖母一人だけが日本人で他の親族は全員白人系」でなければ説明がつかないレベルの日系人、というか、もはやそれ日系人ですらねーよレベルで白人と見分けがつかない外見でなければおかしいというか……(そうなると「日系」とレッテルを貼ることすらおこがましい気もする)。アメリカは1945年の終戦後もしばらく日本人の移民流入を法律で禁止していて、当時アメリカに移り住めたのは米軍兵士と結婚した日本人女性にほぼ限られていたんですね。1940年代後半と言えば、カヨコの祖母が結婚・出産してるくらいの時代だと思います。戦前からアメリカに住んでいた日系移民は戦時中は収容所に隔離されていたし、戦後は戦後で厳しい人種差別に苦しみながら白人がやりたがらない仕事、俗にいうmenial laborで生計を立てる人々が中心だった。そんな状況で、カヨコの父が上院議員になれるはずもなく(仮に日本人として)。「名家の出身」も何もないわけだよ。だいたい「名家」ってなんだ? 祖母の祖先が皇族か公家だったとか??

カヨコの政界での立ち位置やら親族の設定やらを考えると、石原さとみのザ・純ジャパな外見にそもそも無理がある。仮に二親等以内の親族は全員日系ですって設定を看過して、日系人の話す英語に「日系人特有の訛り」があったとしても、どう考えても石原さとみレベルの英語力では太刀打ちできない。「そこらの純ジャパよりちょっと上手い」レベルの英語力では。なぜなら、その「日系人特有の訛り」すらも再現できていないから。だから「訛りのない英語なんてないんだ!」って見苦しい言い訳を見るたびに、もうちょとマシな言い訳考えろよ…と思ってしまう。石原さとみの英語は純ジャパとしては良い方だけど、発音・呂律・会話のスピードといった点で「カヨコ・アン・パタースン」という英語ネイティブの日系アメリカ人を演じるのに不適格なので。

ほんと、カヨコ役でなければなぁと返す返すも残念に思います。

厳密に言えば、石原さとみの英語力・演技力の問題ではなくて、キャストの人選担当、演出担当の側の問題なんだけどね…以下、上記に書き忘れたことをちらほらと。

カタカナ語をなんでもネイティブ風の発音にすれば「日本語を喋ってるガイジン」になると思ったら大間違い(例:パーセントがpercent)
・なぜか独り言が日本語(おいおい英語が母語なんじゃないのか)
・一発で何を言ってるのか分からない発話形態はネイティブとして発音がどーのこーの以前に映画のシーンとしてまずい。
・飛行機内(?)で「40代で大統領目指す云々」の話をしてるときの会話スピードが遅すぎ。純ジャパが会話に参加してない状態でネイティブ同士があんなにゆっくり喋るのは明らかに変。大学受験のリスニング問題かよ。しかもご丁寧に二回も繰り返してくれるやつ。石原さとみの会話スピードの遅さを誤魔化すために、相手役の人に超低速で話してもらってるのが見え見え。

それから『シン・ゴジラ』の日系アメリカ人表象とは一切関係ないんですが、冷凍されたゴジラゴジラが動き出したら3000有余秒で国連軍が即座に攻撃ってあれ、国連憲章敵国条項のこと指してるのかね? ゴジラの攻撃で東京界隈が瓦礫の山になるの、第二次世界大戦中の東京大空襲のトラウマ追体験っぽいな~と思ってたんだけど、ゴジラは日本そのものなのかな…

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過去の純ジャパ勢に対する私怨がすさまじいのは置いといて、いま『シンゴジラ』を観てもこのへんのポイントはめちゃくちゃ引っかかるんだよなあ。人間描写がやれリアルだやれ現実的だって持ち上げられてるけど、カヨコ・パタースンの描写に関してはやはり純ジャパウォッシュされた「純ジャパの人にとってのリアル(という名のファンタジー)」でしかないわけで、有体に言えば誰だよこんなトンデモファンタジーぶちこむ許可出したの、と突っ込まざるを得ない。他をがっつり作りこんでるだけに。ファンや二次創作の界隈ではウケてるから大衆性が高いというか通俗性の高いステレオタイプな人物造形ってことで商業的に大成功なんだろうけど、純ジャパの排他主義でsageてから「でもガイジンだからしかたないよね」って上から目線のお情けでageる精神がよくわからん。閣僚の男女比を現実の比率に合わせるだの、現実の国会議員に取材してリアリティを求めるだのしてるんだから、日系人の登場人物だって現実の日系人に取材申し込むくらいはしても良かったんじゃないのかね? 取材したならしたで、もう少し踏み込んだ取材をした方が人物像に深みを出せたのではないか。(ただこの辺も、石原さとみ個人が取材して演技に深みを持たせたところで、脚本自体がオソマツな描写をしていたんでは、いくら石原さとみが頑張ってもへぼい「カヨコ」にしかならない。だって脚本の時点で描写がへぼだもの。) 他の部分は気に入ってるだけに「カヨコ」が残念でならない。

イヴァンカとカヨコ並べて面白がる向きもあるけど、もし純ジャパの登場人物レベルでカヨコのリアリティも求めてるんだとしたら(仮にそんなことがあれば、の話なんだけど)、カヨコは実力もないのに近親者のコネと権力で今の地位を手に入れたお飾り官僚として「リアルに」描かれたってことになるだろうし、「Where's ZARA?」って発言しちゃうくらいには脳内お花畑だから「40代で大統領職~」って本気で言っちゃうおバカちゃんでも仕方ないのかな。とかなんとか、神経質なガイジンのしみったれた話なんて、純ジャパの視聴者にはどうでもいいか。